今回のテーマは、ポルトガルの美しいアズレージョ(azulejo) 。ポルトガル語で「タイル」を意味します。今回は、アズレージョの思い出を振り返りながら、歴史散策してみたいと思います。
アズレージョとは
アズレージョとは、人々の生活、歴史上の出来事が描かれている正方形のタイルです。青い顔料で描かれたものをイメージしますが、色とりどりの幾何学模様を合わせたタイルなど、さまざまな模様があります。
語源はペルシャ語
ラピス・ラズリという青い石をご存知ですか。ギリシャ人、ローマ人、アラブ人に好まれ、よく使われた石でした。あのラズリ(LAZULI)という部分は青を意味しています。そこから今度は形容詞のZULという言葉が出てきて、それは「磨かれた」「つるりとした」「輝いた」などの意味で使われるようになったのです。その後ZULから動詞のZULEJと変化しています。http://www.az-tileshop.com/aboutazulejo.html
原点は北アフリカのモザイク
北アフリカのチュニジアに行ったときに立ち寄ったナーブル。この街は、オレンジと陶磁器が有名です。、町の中心部にも大きなモニュメントがありました。
チュニジアを含む北アフリカでは、古くから釉薬を掛けたセラミック(陶磁器)のモザイクが作られています。その技術が北アフリカのアラブ人芸術家たちによってイベリア半島に伝えられました。
13〜4世紀、スペイン南部のアンダルシア地方で、セラミック(陶磁器)のタイルで建物を飾る習慣が広がっていきました。15世紀の終わりごろになると、ポルトガルは、本格的にスペインからタイルを輸入し始めました。なので、アズレージョは、北アフリカのモザイクが発展したものと言えるそうです。
シントラ宮殿
シントラにある宮殿は、ポルトガル王室の離宮でした。
建物の壁面に幾何学文様や植物のモチーフを装飾を施しているものは、ムデハル様式と言います。
ここのアズレージョは、同じ模様が続くカーペットスタイルが用いられています。これは、マヌエル1世王が、スペインを訪れた時に見たグラナダのアルハンブラ宮殿や、セビーリャのカテドラルに大変魅せられ、飾られたものです。
ムデハル様式とはレコンキスタ(国土回復運動)の後、残留イスラム教徒の建築様式と キリスト教建築様式が融合したスタイルのことで、アラビア語で残留者を意味する「 ムダッジャン」に由来します。https://worldheritagesite.xyz/tag/mudejar/
アズレージョの移り変わり
16世紀ごろからは、ポルトガル既存の瓦やレンガの装飾タイルが、セラミック芸術として発展していきました。
さらに、16世紀中ごろには、イタリア人芸術家たちが、スペインやポルトガルなどで、陶器の素地に錫白釉をかける マジョリカ技法 を広め、ポルトガルタイルに大きな変革をもたらしました。
マジョリカ技法 は、人物や動物描写、歴史上の出来事、古典神話、宗教的事蹟などを自由線でカラフルに描いた壁画風タイルが多く、より芸術性も高まりました。
17世紀になると、青一色で描かれたタイルが主流になり、「青」という語源がそこで蘇ってきたのだそうです。その間、ペルシャ語で「青」を意味する「LAZULI(ラズリ)」は、表記や発音が少しずつ変化して、現在のAZULEJO(アズレージョ)となったそうです。
参考文献:http://www.az-tileshop.com/aboutazulejo.html
ポルトのアズレージョ
歴史的背景が分かったところで、ポルトで見たアズレージョを振り返ってみたいと思います。
ポルト大聖堂
ポルト大聖堂はポルト市内で最も古い建築物です。1110年頃にロマネスク様式として建立が開始され、その後、ゴシックやバロック様式による増改築が繰り返されて現在の姿になったと言われています。
南側翼廊はゴシック様式の回廊とつながっていて、回廊には、聖母マリアの一生などが描かれたアズレージョがあります。また、テラスには、アントニオ・ヴィダルによるアズレージョが飾られています。
São Bento駅
1900年に造られた美しい駅舎の内部には、2万枚のアズレージョ(合計面積551㎡)があり、ポルトガル歴史にまつわる出来事が描かれています。
もちろんアズレージョも素敵なのですが、何も描かれていない白い天井との対比も素敵でした。
斜め前には、サント・アントーニオ・ドス・コングレガードス教会(Igreja de Santo António dos Congregados) があります。
サント・イルデフォンソ教会
サント・イルデフォンソ教会(Igreja Paroquial de Santo Ildefonso) 。外観の青のアズレージョと内部のステンドグラスが素敵な教会です。
ポルトの町並み
アズレージョが見られるのは、教会や歴史的建造物だけではありません。ドゥエロ川沿いにカラフルな家が並んでいました。
ブラジル独立後の1830年頃に、ブラジルに移民した多くのポルトガル人が本国に引き揚げてきました。彼らは、熱帯性豪雨や湿度から壁を保護する目的で、アズレージョを外壁に使っており、このような使い方がポルトガルにも持ち込まれたそうです。
ジェロニモス修道院
リスボンにある世界遺産、 ジェロニモス修道院 。マニュエル1世(Manuel I/1469~1521年)が、ヴァスコ・ダ・ガマの海外遠征で得た巨万の富を費して建てたものです。いろんな意味で、私にとっては感慨深い一枚の写真です。余談ですが、長い間PCの待ち受け画面にしていました。
16世紀初頭の着工から300年以上の期間をかけて19世紀に完成しました。その完成度の高さからポルトガル建築の最高峰と讃えられていますが、青いアズレージョが印象的でした。
国立アズレージョ博物館
そうしてアズレージョに触れているうちに、気付けばすっかりアズレージョに魅了されてしまいました。 リスボンにある Museu Nacional do Azulejo (国立アズレージョ博物館) では、アズレージョの奥深い世界を存分に堪能することができます。
マドレ・デ・デウス教会を改装して建てられた博物館で、15世紀から現代までの歴史的価値の高いアズレージョが集められて、年代やテーマごとに展示されています。
さいごに
ポルトガルでは、町を歩けばアズレージョを見ることができます。観光用のブースにもアズレージョが飾られていました。こういう細かいところを見て歩くので、散策は、時間がいくらあっても足りませんでした。
帰国後、写真を見ていると、まるで町中が美術館のようだったポルト。特にアズレージョについてもっと知りたくなり調べてみました。
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