2015年、そんなキルギスの郊外・カラコル (カザフスタンの近く) という町への赴任が決まりました。
今回は、そんなキルギスでの仕事や料理、お土産をご紹介いたします。
※2015年の体験談ですが、リンクを修正したため更新しました。
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キルギス共和国
キルギスは中央アジアの内陸国です。
地理的には、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、そして中国に囲まれています。
キルギス人は、日本人と同じ蒙古斑 (最近の赤ちゃんにもあるのかしら?) を持つモンゴロイドで、お肉好きはキルギスに残り、お魚好きは日本に行ったと言われるほど顔が似ている人もいます。初めて事務所を訪れた時、そこにいた方にキルギス語で挨拶したらいいのか?日本語?と迷ってしまうほどでした。
日本から直行便はないため、イスタンブール経由で行くことができます。
また、韓国から隣のカザフスタンに直行便がでているので、カザフスタンのアルマトイという都市から陸路でも入国できます。その場合、歩いて国境を越えます。
キルギスの観光地
キルギスは、あまり知られていませんが。とても美しい国です。
イシククル湖
キルギス国内にある、周囲700Kmのイシククル湖。
「イシク」とは、キルギス語で熱い、もしくは暑いという意味で、「クル」は、湖という意味です。
決して熱いお湯のような湖ではないのですが、冬でも凍らないため、このような名前が付いたそうです。1991年に旧ソ連から独立し、産業が乏しい国ですが、夏はこのイシククル湖の北側周辺に多くの避暑を求める観光客がやってきます。
湖の南側はあまり開発されていないので、のどかで美しい景色が広がっています。
私は、この南側が好きです。
不思議なことに、イシククル湖には、流れ入る、もしくは出る川がありません。
そのため、この湖の周辺の土地は地下水がとても豊富です。
ブラナの塔
イシククル湖の北側のシルクロードは、世界遺産にも登録されています。三蔵法師も歩いたと言われています。
そこには、ブラナの塔 (べラサグン遺跡) があります。10~13世紀にかけての都だった場所です。元の高さは45mだったそうですが、16世紀の地震で崩れてしまい、今は24mです。
中の階段を使って上り、屋上から360度の絶景を楽しむことができます。
多民族国家
キルギスには何十もの民族が住んでいます。上の写真の衣装は、私が一番好きな民族衣装です。
キルギスの気候
ところで、しばらくの間、山岳地帯のキルギスの標高1,400ⅿの場所に住んでいました。
なごり雪
キルギスには長くて寒い冬、花が咲き乱れる春、短い夏と秋があります。
4月に赴任してすぐ、名残り雪が降りました。名残り雪と言っても、かなりの豪雪でした。ある日は、降り積もった雪を踏みしめての通勤となりました。
4月は杏の花盛り
雪が降ったと思ったら、すぐに春の気配。
桜の花に似ていますが、これは杏の花です。イシククル湖周辺など、辺り一面に咲き乱れ、一番美しい季節を迎えます。
5月はリンゴの花盛り
杏の花の次はリンゴの花。リンゴ畑が近くにあるので、この時も素敵な景色が広がりました。
この時期、標高1,200mでキルギスマラソンも開催されます。
日本からは「元気ですか~!」叫んでいる方もいらっしゃっていました。
OVOPショップ
ところで、テレビ番組の「ダーツの旅・世界一周」の最後にキルギスが紹介されていました。『ここ日本人いっぱいいますよ~』と、一人テレビを見ながらつっこんでいました (笑)。
私がよく店番をしていた OVOP (One Village One Product:一村一品) ショップにもテレビのスタッフが立ち寄って「ここに日本人は来たことありますか?」と聞いていました。
そこは、日本の支援金(税金) を元手に作ったお店ですから(笑)
今でも「キルギス?どこ?」と言われることが多いのですが、最近では、日本人が多く訪れているようです。
私がいたときも、日本からツアーの方々が訪れていました。近隣のウズベキスタン等と組み合わせて旅行するそうです。
学園都市カラコル
私が住んでいたのは、学園都市の「カラコル」です。
カラコルは、天山山脈への登山やスキーが楽しめる高山都市でもあります。なので、夏は登山、冬には、ヨーロッパから多くのスキーヤーがやってきます。上の写真が町一番の繁華街 (2017年当時) です。デパートやレストラン、スーパーなどが集まっています。州庁舎も近くにありますので、東京でいうと、新宿のような場所です(笑)。
カラコルの新宿ですが、道には穴があちこち開いています( ´艸`)
キルギスの首都ビシュケクからカラコルまでは、車で6時間かかります。6時間のドライブのうち半分は、美しいイシククル湖の周辺を走るのですが、車の状態がよくないので、厳しいドライブとなります。標高は1,400mなので、階段を上がったり、走ったりすると少し息苦しくなりますが、普段の生活には支障はありません。
町の建物には、エスカレーターやエレベーターなんぞはありませんでした。
イスラム教徒が多い国ですが、街中にはロシア正教の聖三位一体教会もあります。この教会の庭は、初夏にバラなどの花が咲き乱れ、とても美しくなります。
キルギスでの仕事
大学院で研究をしていた私の任務は、地元の人々が作り出した製品を、継続的に売るために作られた会社での経営管理に携わることでした。開発途上国の支援では、モノ作りは得意でも売ることは苦手なことが多いのです。
住民が作った製品を、先ほどの「OVOPショップ」で販売します。
職場は、地元の大学の一部を借りた建物内にありました。キルギス人スタッフと、日本人プロジェクトスタッフと一緒に働きます。
途上国での原則は「日が沈んだら移動しない」です。なので、日が沈む前に家に着くように帰ります。
夏だと、日が沈むのは夜の8時ごろになります。
毎日、思うように進まない作業の連続でしたが、夕方に事務所の窓から見られるこの景色に癒されました。この景色が見られるようになったら帰ります。
通勤
キルギスの生活の中で一番楽しかったのは、通勤です。
アパートから職場までは徒歩10分くらいの緑の回廊が、一番のお気に入りでした。
月曜から土曜日まで、週休1日、毎朝8時ごろアパートを出ます。通勤途中の緑の回廊の付近には小学校もあり、時々子供たちが朝の草むしりをしていました。
帰宅路
ある日、帰ろうと事務所を出ると、牛がいました。
ここは大学内の敷地なのですが、自由に人が出入りできるため、飼っている牛のエサやりの場にもなっていました。
私が写真を撮っていると『こっちにもいるよ~』とペーターが大人になったような飼い主が教えてくれました。
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カラコルでの生活
カラコルに着いてびっくりしたのは、建物や道路がビックリするほどボロボロだったことです。
私が住んでいたアパートも共用部分は壊れていて、階段のライトもきれたままです。部屋ごとにオーナーが違うので、誰も公共の場を修理しようとしないそうです。
部屋は3階で、ベランダがついていました。
階段部分にはライトがないのですが、部屋にはライトがたくさんありました。
キッチンとベッドルームは、リノベーションされたばかりなので、とてもきれいでした。ベッドや机は手作りです。テレビも見られましたが、ロシア語のみでした。ロシア語の勉強になっていいのですが、私にはハードルが高かったです。
wi-fi もあるのですが、風が強く吹くとすぐに切れます。
電気の供給量が不安定な国ですが、PCでの書類作りやメール連絡など・・・PCと携帯の充電はマストでした。
これは「アリストン」という湯沸し器です。60リットルのお湯を溜めることができます。
電気供給の不安定な国で、強い風が吹くとすぐに停電します。もちろん無計画停電です。なのに、私の部屋はオール電化でした ( ノД`)
ある日、地域ごとの大規模な停電 (予告なし) があり、3日に渡り電気が点かず、お湯が沸かせませんでした。60リットルだと、2日分くらいのお湯になり、なんとかシャワーを浴びることができましたが・・。
初!途上国の洗礼を受けました。
バスルームは悲しくなるくらいボロボロだったので、写真は残しませんでした。
清潔好きの日本人、キルギス生活で唯一この点だけが辛かったです。
貸与品と水事情
中央アジアのスイスと言われているキルギスですが、水道管が古く、浄水場も怪しいらしいため、大雨が降ると水が濁ります (泣)。
ホテルのシャワーからも茶色いお水が出てきて、最初びっくりしました。
生活のポイント
大雨が降っているときはシャワーは浴びず、雨が止むのを待ちます。水を出していると、次第に茶色ではなくなってきます。
そして、普段でも水道水には砂が混じっているため、水道のパイプ部分は1か月に一回は砂抜きしてもらわないと、お水が出なくなってしまいます。お水の出が悪くなると大家さんに電話して修理してもらいます。1か月の家賃は300ドル (当時・約33,000円) でしたが、電気・水道・修理代も込みなので、助かりました。
浄水器が貸与されましたが、水は1リットル40円位で買えましたので、飲料水で困ることはありませんでした。
ただし、日本での生活がどんなに快適なのか(といまさら)実感しました。
キッチン
ダイニングキッチンは、新しくとても使いやすかったです。
小さいですが、冷蔵庫もあります。電子レンジがあるのも助かりました。ドラム式の洗濯機もありました。
しかし、3か月で洗濯機が壊れました。新品だったと思うのですが、水道管の砂詰まりのせいかも知れません。
部屋からの景色
この部屋に決めた理由の一つが、この景色です!
キッチンの窓から、毎日この景色を見ながらお弁当を作って、朝ご飯を食べました。
また、夜には山の向こうから出てくる月を見ることができました。この時ばかりは、ハイジになった気分でした。
買い物:食料品
アパートの近くにはスーパーもたくさんありましたが、町の中心 (新宿・笑) にある市場によく行きました。
顔なじみになるとちょっとおまけしてくれます。
私がよく買っていた食材です。
市場のそばにはスーパーもあるので、買い物には困りません。しかも、新宿(笑)にあるスーパーは、24時間営業です。スーパーの食材ははきれいにパックに入っていますが、市場もスーパーもあまり値段が変わりません。
でも、卵を買うときは、絶対に市場へ行きます!そこには、「ダマシネ (自家製という意味のキルギス語)」の卵が売られているのです。ダマシネの卵は新鮮で、とてもおいしかったです。
ある日の朝食
クレープにサワークリームとキャビア (もどき) をかけロシア風の朝食を作ってみました。
ロシア語で魚の卵は イクラ (Икра) といいます。
一瓶が240円だったので、チョウザメの卵ではありませんが、雰囲気だけは楽しめました。
赤レンズマメ。1㎏が350円と、こちらも安いのでよく買っていました。ビタミンEと鉄分がたっぷりの食材です。
キャベツと、日本から持って行ったツナ缶で野菜・豆スープを作ってみました。
買い物:雑貨
遊牧民のキルギス人はとても器用で、なんでも作ってしまいます。
なので、日用品で必要な雑貨は国産はなく、中国などからの輸入品です。100円ショップを知っている日本人から見ると、高いのに質が悪いという印象です。
海外赴任の必需品!「日本のサランラップ」は持ってきましたが、他の生活用品は少し買い足しました。
赴任で利用した航空会社はアエロフロートだったので、荷物の制限量が厳しく、雑貨はあまり持ってくることができませんでした。
ハンガー (金属製・60円/プラスチック・100円) と吸盤つき物掛け (200円)を買いました。
ブル カンチャ トゥラット (これはいくらですか)?
こう尋ねると、どこのお店にも電卓があるので、数字を入れて見せてくれます。なので、
アルザンラーク ベリニィズチ(安くしてください)
日本では、サバイバルキルギス語だけを習って行きました。今でも、このフレーズだけは覚えています。
お願いしてみると、端数分を安くしてくれました。言ってみるものですね。
キルギスの料理
キルギスには、遊牧民族が多く住んでいます。
なので、キルギス料理というものはないようで、キルギスで食べられる料理という感じです。多民族国家であると同時に遊牧民族の国でもあります。遊牧民というと、羊料理が連想されますが、ここでは、牛も鶏も食べられました。
キルギス、特に地方都市では英語よりロシア語です。なので、赴任した当時は、レストランの注文に苦労しました。
そんなとき、写真を見せれば、一発で注文できます!
シャシリクという炭火焼の料理です。
これは、キルギスだけでなく、周辺の国々で食べられています。
人をもてなすことが大好きなキルギスでは、大皿の料理を皆でシェアして食べる機会が多くありました。
主食にご飯も食べますが、パンの時も多かったです。
でも小麦粉が悪いのか?焼き方が悪いのか?あまりおいしくありませんでした。
内陸国ですが、大きな湖があるので、イシククル湖で捕れた魚を使った料理もあります。
ただし、地元の人はほとんど食べていませんでした。
アシュランフー
原則自炊生活を送っていましたが、疲れた時は帰り道にあるお店でテイクアウトしていました。
大好きだったのは、「アシュランフー」という冷たい辛めのスープの中華めんです。上にかかっているのは、日本のトコロテンそのものでした。カラコルのB級グルメです。揚げたてのお芋の粉でできたナンのようなものを一緒に食べます。
キルギスのお酒事情
キルギスはイスラム教徒が多い国です。
でも町では、お酒も売っていました。私が住んでいたカラコルにも、2015年にビールの量り売りのお店ができました。ペットボトルにビールを入れてくれます。乾燥している土地なので、ビールが美味しかったです。
キルギスの風習
ある日、事務所に行くと、一番の若手が頭に葉っぱを乗せていました。
いじめ?
かと思い聞いてみたら、頭痛がする時、このように頭に少し湿らせた葉っぱを乗せるそうです。
自然のアイスノンのようですね。
キルギス・一村一品(OVOP)製品
キルギスの町や村の原材料を使って、付加価値を付けながら、オンリーワンの製品を作っていきます。
このプロジェクトには、日本の大分県で始まった地域活性と同じ名前が付けられています。
フェルト製品
キルギスには羊がたくさんいましたが、質の良い羊毛は生産されていませんでした。それを日本の技術協力で、使える羊毛に変えていきました。
その羊毛に、キルギスに自生する植物を使って、草木染をしています。
途上国の製品によくあるような「色落ち」がないように工夫され、最近では藍染めの知識も取り入れるようになったそうです。
その羊毛を女性たちに配り、チクチク・・・フェルト人形を作り上げていきます。
冬はマイナス何十度にもなるキルギスでの作業は、結構大変です。
途上国のお土産レベルで終わらせたくない!持続可能な活動にするためには、収益は大切な目標です。
そのため、経営管理の知識を組み込むことになりました。
プロジェクトが始まって6年 (2015年時点)、プロジェクト・リーダー率いるメンバーの頑張りで、キルギスのフェルト製品は、全世界の無印良品の店舗でも販売されるようになりました。ただし、製品作りは簡単ではありません。
生産者は、周囲700kmにもおよぶ湖の周りに点在しています。彼女らが、ミリ単位での要求に応じるのです。そのため、誰でもが簡単に同じ製品を作ることができるスケールが導入されました。
さらに、作業には針を使うので、その針が商品に残ってしまうことも避けなければなりません。
検品のため(日本の支援を受け)金属探知機も導入されました。よく、開発途上国の援助にモノづくりが注目されますが、実際、ここまでやらないと継続的な収益につながる活動にはならないのです。
キルギスのハチミツ
このピンクの花は、6月のほんの短い時期に咲く、エスパルセットというマメ科の花です。
栄養価が高く、家畜の肥料として植えられているのですが、この花から採れるハチミツを結晶化させたホワイトハニーは、普通のハチミツよりもまろやかです。そのまま食べても美味しいのですが(贅沢ですが) お料理にも使えます。
この商品開発のため、ある日、ハニーハンターのところに行きました。
キルギスのハチミツは、お隣のカザフスタンで開催された食品コンテストで金賞を取るほど質の高いものです。
おやつにいただいた、とれたてのハチミツの味は忘れられません。
キルギスの "ホワイトハニー" ~テレビでも紹介された希少なハチミツ🍯~
美味しかったハチミツはキルギスの大切な思い出。
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アミガサダケ
アミガサダケは、日本ではあまりメジャーではありませんが、とても香り豊かなキノコです。
現地で(私)は、みじん切りにしてクリームソースと合わせて、パスタソースにしていました。
センスのいい専門家 (当時は協力隊員) と、とてもスマートなキルギス人スタッフと協力して、レシピを作りました。
レシピは商品に付けてお店に並べました。
ドイツ人の方が多く買ってくれ、作ると必ず完売する商品でした。私が赴任していたとき、日本からのツアーの方もいらっしゃったので、おすすめしました。
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さいごに
ブログを書くきっかけになった、キルギスでの滞在。
長くなりましたが、生活や活動のようすをまとめてみました。あまり知られていない場所のようすを楽しんでいただけましたら幸いです。
最後までご覧いただきありがとうございます。