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東京国立博物館で開催されている「古代メキシコーマヤ、アステカ、テオティワカン」で体感した古代メキシコへの旅、後半をお届けいたします。
この特別展は、4つのテーマに沿って古代メキシコを解説しています。
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特別展 古代メキシコ
特別展「古代メキシコ ーマヤ、アステカ、テオティワカン」は、以下の4章で構成されています。
テーマ
第1章 古代メキシコへのいざない
第2章 テオティワカン 神々の都
第3章 マヤ 都市国家の興亡
第4章 アステカ テノチティトランの大神殿
第1章と2章では、テオティワカンの神々の都を巡ってきました。
古代メキシコを1日で満喫 ~東京国立博物館・特別展~
「旅とアロマ」にお越しくださり、ありがとうございます。 東京国立博物館の特別展に、「古代メキシコ-マヤ、アステカ、テオティワカン」の至宝 (しほう) がやってきました。 今回は、まだ多くの謎に包まれた ...
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こちらの記事の続きです。
マヤ 都市国家の興亡
マヤは前1200年頃から後16世紀までメソアメリカ一帯で栄えた文明であり、後1世紀頃には王朝が成立しました。
第3章「マヤ 都市国家の興亡」では、マヤ地域の出土品とともに、その地に生きた人々や文化を紹介しています。マヤ文明が栄た地は熱帯低地帯であったため、食物の長期保存ができず、経済の統制や常備軍を支配制度の基盤とすることが難しかったそうです。そのため、建築活動や祭祀が共同体維持のためには不可欠だったといいます。
マヤの人々
人が集まる大都市をつくったテオティワカンと異なり、マヤは、熱帯低地の環境に合わせた都市づくりがなされたそうです。
ユカタン半島にあるカンペチェ州北部海岸のハイナ島からは、膨大な数の埋葬施設が見つかりました。その副葬品として、王や貴族をはじめ当時のさまざまな役職の人々の姿を写した土偶が見つかりました。優れた工芸品や交易による品物で豊かに彩られたその土偶からは、マヤの人々の営みが想像されます。
王、あるいはそれに次ぐ高位の男性を表した土偶。
同じくハイナ島から出土した戦士の土偶(今回の展示はなし)では、鳥をモチーフにしたヘルメットを被っていたのですが、このヘルメットも鳥をイメージしているのでしょうか?
ここで少し、マヤの人々に会いに行きましょう。
青色のドレスの高い位の女性であり、トウモロコシ神を真似た頭蓋変形や口元の装飾が表されています。
最初の部屋にいた、つばの大きな帽子を被り、美しいコートを羽織った貴人の土偶。
この時代は、マヤ・ブルーで色付けされた土偶が多く見つかっているようです。
大きな耳飾りと首飾りを着けた高位の女性が機織りをしている姿です。
マヤの女性にとって機織りは重要な仕事であり、王族や貴族の女性も、紡錘車や紡錘を用いて糸を紡いでいたと考えられています。
戦士の土偶は、都市の儀礼的戦闘の闘士か儀式用の盛装をした戦士と考えられています。
一方、≪捕虜かシャーマンの土偶≫ の帯を巻いた頭飾りは、神官を表すそうですが、耳の紙帯や首と腕の縄の表現から、高位の戦争捕虜の可能性があるとも考えられています。
これだけマヤ人の土偶を見ていると、まるで彼らと旅している気がして、もっといろいろ知りたくなりました。
マヤ人の美学
ところで、マヤの人々は、ヒスイとウミギク貝を珍重したそうです。
ヒスイはグアテマラ南東部のモタグア川流域で産出し、ウミギク貝は太平洋沿岸で採取され、各地へ流通しました。中央のデザインはトウモロコシ神? テオティワカンの貝だけの首飾りとは、少し違いますね。
古代マヤ人たちが遺したものには、非常に高い芸術性が見られます。
彼らの美の根源には、他者に見せつけたり、自己満足に浸ったりする感情とは異なったものが存在していた。異なったものの正体とは、神々との世界とのつながり、悪霊から身を守ったりするために美を追求していたということである。
出所:『図解 マヤ文明』(pp.60)
都市の交流・交易
ピラミッドなどに見られる祭祀 (さいし/神や先祖をまつること)や暦の採用以外にも、マヤでは、都市間の交易や交流が活発に行われました。
塩を売り歩いた商人を描いたとされる壁画が発見されるなど、塩を交易品としたり、カカオを通貨に用いたりしたりと、地域の特性を生かして文明を発展させていった様子が出土品からもうかがえます。
≪猿の神とカカオの土器蓋≫は、猿の形相をした神像です。
こちらにもマヤ・ブルーが使われていますね。首飾りには、猿が好んで食べるカカオの実の装飾がみられます。カカオの豆は飲料に加工されたり、通貨にも使われたりした重要な交易品だったようです。
詳細
・マヤ文明、600~950年
・トニナ出土
・トニナ博物館蔵
古代のチョコレートってどんな味?
古代のチョコレートは、今のように固形の甘い食べものではなく、液体で飲んでいたそうです。
カカオを丁寧に焙煎すると、苦味が前面に出されすぎず、カカオが持つ渋味や酸味など豊かな風味を引き出すことができるそうです。そこに、香辛料などを入れて飲んでいたのでしょうか?
ところで、チョコレートの名前の由来については諸説ありますが、アステカの言葉であるナワトル語の「ショコラトル(xocolatl)」を語源とする説があります。xococ は「酸味」を、atl は「水」や「飲み物」を指します。しかし、メキシコの植民地時代の資料にはチョコラトル(chocolatl)なる語彙は見当たらなかったとか(出所:チョコレートの歴史)。まだまだ分からないことはたくさんありますね。
マヤの文字
また、マヤには、とても難解な文字があります。
石碑から宝飾品まで多様な媒体に使われたマヤ文字ですが、20世紀より解読がすすみ、約8割が読めるようになったそうです。会場に展示されている石板では、美しい造形のマヤ文字を見ることができます。
唯一、真上から写真を撮れない展示品なので、石板の上に、文字が飾られていました。
この石板は、古典期後期のマヤの都市の一つ、パレンケ(400~800年)の王宮の遺跡で見つかったものです。
そのパレンケの王であったキニチ・ハナーブ・パカル1世(603年 - 683年)以来の歴代の王の名前が刻まれており、マヤの歴史を物語るとともに、芸術品として愛好された書跡碑文(カリグラフィ)の最高峰に位置するものだそうです。
マヤ文字は、人物や動物をかたどった具象的なもので、暦と関係が深いことが特徴であり、表意文字としてだけでなく表音文字としても使われたそうです。
表音文字
一字が、音声(音韻)だけを表す文字体系(ハングルなど)
表語文字
一字が、意味と音の両方を持っている文字体系(漢字など)。
たとえば、「本」という1文字で、「book」を意味し、「ほん」「もと」といった発音もあらわし、言葉(語)になっている
上の文字は「トニナ」と書かれています。かなり複雑ですね。覚えるのも難しそうだし、一文字を書くのに、かなり時間がかかりそうです。
この文字は、スペイン人によって植民地支配される16世紀後半まで、少なくとも約1300年もの間にわたって使用されてきたそうです。
整った頭髪、大きな首飾りや腕輪、右手に携えた文書の表現から女性の書記と考えられています。彼女は、上のような複雑な文字を書いていたのでしょうか。とても興味深かったです。
ちなみに、特別展の売店には、マヤ文字で書かれた日本人の名前のハンコが売られていました。残念ながら、私の名前のハンコは売り切れでしたが、いいお土産になりそうですね。
パレンケ
古典マヤを代表する遺跡の一つに、パレンケがあります。
現在、18代の王の存在が確認されていますが、そのパレンケを大国に成長させたと言われているのは、11代目のキニチ・ハナーブ・パカル1世(在位615~683年)です。
王のの遺体は、1952年に「碑文の神殿」の中に築かれた王墓で見つかりました。大量のヒスイ製品で飾られ、ヒスイの仮面に覆われていたそうです。このパスカル王の像とされる頭部像も墓室内から見つかりました。頭頂部で髪を結え前方に垂らした形は、トウモロコシ神の姿を真似たと考えられています
赤の女王のマスク
本章では、マヤの文化的発展と王朝史に注目しており、特に王朝美術の傑作と名が高い、「赤の女王のマスク」をはじめとする王妃の墓の出土品が展示されており、一番の見どころとなっています。
その「赤の女王」は、パカル1世の妃とされている人です。
詳細
赤の女王のマスク・冠・首飾り
マヤ文明、7世紀後半 パレンケ、13号神殿出土
アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館蔵
パレンケ13号神殿で真っ赤な辰砂(水銀朱)に覆われて埋葬されていた「赤の女王」。
「赤の女王」と呼ばれている由来は、出土した時の様子にあります。女性は全身を辰砂 (しんしゃ) という顔料や防腐剤として広く利用される真っ赤な鉱物の粉末に覆われた状態で発見されました。
マスクや冠などの装飾品を身に着けていた「赤の女王」は、王墓の隣にある墓から見つかったこと、そして王との血縁関係がないというDNA鑑定の結果を踏まえて、マヤの中規模都市・パレンケの王であるキニチ・ハナーブ・パカルの妃であるイシュ・ツァクブ・アハウの可能性が高いと考えられています。
「赤の女王」は、マスクだけでなく全身の装飾具も組み合わせることで、埋葬時にできるだけ近づけた姿での展示となっています。冠と首飾りは特別な儀式に使うもので、彼女が生前に身に着けていた可能性があるそうです。
マスク
孔雀石の小片を組み合わせて作られたマスク。
瞳には黒曜石、白目には白ヒスイ輝石岩をはめている。
柔らかい孔雀石を用いた豊かな表情が特徴。
冠
ひすい輝石岩の平玉からなり、頭蓋骨の周辺に配置されていたことから二重の髪飾りであったと考えられている。
頭飾り
マヤ神話の雨神チャフクを表現する。
頭の上に結えた神の正面を飾った。
かぎ鼻など髪の特徴的な要素を示す。
首飾り
管状と球状の玉髄’(ぎょくずい)のビーズを組み合わせた首飾り。
死後も役立ちようにと、彼女の遺品の一部として墓に納められたのであろう。
胸飾り
胸と肩を覆う織物のケープ「クブ」は、マヤ王族の女性の多くが身に着けた。
本作には170以上ものヒスイ輝石岩が装飾され、中央下部には小さな猿の頭部を付けた花形の石が添えられている。
上記は、展示会の説明を参考にさせていただきました。
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アステカテノチティトランの大神殿
マヤ人と廻った旅を終え、最終章に入りましょう。
「アステカ テノチティトランの大神殿」では、古代メキシコ文明の最終章とも言える、14〜16世紀に築かれた「アステカ文明」の優れた彫刻作品や金製品を紹介しています。ちなみに、日本では室町〜安土桃山時代ごろになります。
アステカ王国は、13世紀に、メソアメリカ北部からメシーカ人らナワトル語を母語とする人々がメキシコ中央高原に到来し生まれました。
アステカ王国の首都・テノチティトランは湖に浮かぶ水上都市で、その中心には巨大な神殿 テンプロ・マヨールがありました。テノチティトランは、現在のメキシコの首都メキシコシティにあたります。テンプロ・マヨールは、高さ45mの巨大ピラミッドの遺構で、1978年から現在に至るまで発掘作業が続けられています。
※出所:特別展 古代メキシコ展示会場の説明より
テンプロ・マヨール
このテンプロ・マヨールの北側で発掘されたのが、等身大とされる ≪鷲の戦士像≫ です。
詳細
アステカ文明、1469年~86年
テンプロマヨール、鷲の家出土
テンプロマヨール博物館蔵
王直属の「鷲の軍団」を構成した高位の戦士、あるい戦場で死を遂げて鳥に変身した戦士の魂を表すと考えられています。
鷲は天空で最も強い存在ということから太陽の象徴とされ、アステカの人々にとって重要なモチーフでした。本作はアステカ文明を代表する傑作で、展覧会のクライマックスにふさわしい、インパクトのある展示となっていました。
水を貯えるための壺に、トラロク神(雨の神)の装飾を施すことで、雨と豊穣を祈願したとみられています。
金製品
ところで、テンプロ・マヨールでは、これまで、1.9ヘクタールの面積(15.5%にあたる)が調査されています。
近年では、68か所の埋納施設から10万点を超える遺物が出土し、特に、新たに見つかった金製品は、メソアメリカでは珍しいものとして注目を集めています。アンデスなど南米の諸文明とは異なり、古代メキシコでは金の製品が珍しいそうです。
テスカトリポカ神とウィツィポチトリ神の笏形 (しゃくがた) 飾りです。
神々の中で最も大きな力を持つされる夜空の神や、太陽神・狩猟神にあやかった装飾品です。
アステカ文明では、唇や舌へのピアス、耳へのイヤリングが使われており、魔除け的に装飾されたと考えられています。
神々にまつわるモチーフはもちろん、神への捧げ物とした心臓の形をしたペンダントもありました。
巻貝方ペンダント(写真左)や鈴形ペンダント。
巻貝は貴重な食料や交易品であり、それを珍しい金でかたどった豪華な装飾品です。
古代メキシコ展の最後は、新しく発見された至宝も展示されており、この知見をもって古代メキシコへの旅が終わるのでした。
各地開催
2023年9月3日(日)までは、東京国立博物館で展示されますが、その後は、福岡と大阪を巡回します。
- 九州国立博物館:2023年10月3日(火)~12月10日(日)
- 国立国際美術館:2024年2月6日(火)~5月6日(月・休)
けっこう長い間日本で展示されるので、しばらく楽しめそうです。お近くの方は、ぜひ実物をご覧になってくださいね。
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さいごに
まだまだご紹介しきれていない至宝はたくさんありました。最初、2200円の入場料は高いなあと感じたのですが、そんなことは全然ありませんでした。展示品は、見ごたえ抜群です!
古代メキシコ文明のマヤやアステカは、スペインに侵略されて破壊されました。しかし、全く息絶えたのではなく、今のメキシコ社会に受け継がれています。この秋、その世界を実際に見てこようと計画中です。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。