東京

古代メキシコを1日で満喫 ~東京国立博物館・特別展~

※当サイトはアフィリエイト広告やPRを利用しています。

「旅とアロマ」にお越しくださり、ありがとうございます。

東京国立博物館の特別展に、「古代メキシコ-マヤ、アステカ、テオティワカン」の至宝 (しほう) がやってきました。

今回は、まだ多くの謎に包まれたメキシコの神秘を辿りながら、古代メキシコへの旅をしたいと思います。

※なお、本文は特別展での体験に基づいていますが、作品の展示順と一部異なっています。

スポンサーリンク


東京国立博物館・特別展

2023年6月16日(金) ~ 2023年9月3日(日)東京国立博物館の平成館 特別展示室で古代メキシコ展が開催されています。

中米にあるメキシコは日本の5倍の広さがあり、地域によって自然環境が大きく異なり、35もの世界遺産がある国です。なかでも高い人気を誇るのが、古代都市の遺跡群です。

東京国立博物館でメキシコ展が開催されるのは1955(昭和30)年以来、約70年ぶり。コロナ禍の影響で3年ほど延長されたこともあり、夏休み前の平日でも、会場は多くの人で埋め尽くされていました。

3つの文明

本展は、そのうち「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」という代表的な3つの文明に焦点をあて、メキシコ国内の主要博物館から厳選した古代メキシコの至宝の数々を、近年の発掘調査の成果も交えて紹介しています。

アクセス

ところで、東京国立博物館は上野公園にあります。

電車での行き方は、以下です。

電車利用

・JR上野駅公園口、または鶯谷駅下車 徒歩10分

・東京メトロ 銀座線/日比谷線上野駅(7、9番口)
      千代田線根津駅(1番口)下車 徒歩15分

・京成電鉄 京成上野駅下車 徒歩15分

本展は事前予約不要です。

チケットは当日に購入することもできますが、私は、事前に アソビュー!で購入しました。日時の指定はないので、チケットを購入しておけば(キャンセル不可)、好きな時に行けます。

当日は、送られてきたQRコードを特別展のエントランスで読み取ってもらうだけで入場できます。

スポンサーリンク

東京国立博物館にはいくつかの建物があるのですが、その姿を見るだけでもワクワクします。

今回は、少し奥まった平成館へ進みます。

いざ、古代メキシコの世界へ!

古代メキシコ

古代文明と言えば、世界四大文明(エジプト・中国・インダス・メソポタミア)と学んだのですが、どうやら今は「四大文明」とは言わないそうですね。

理由は、昔習った四大文明に並ぶ古代文明が他にもあるから。

その代表が、南米のペルーの地域を中心とするインカ帝国で有名な「アンデス文明」、そして、中米のメキシコ、グアテマラ、ホンジュラスなどを中心とする地域に栄えた「メソアメリカ文明」です。

今回は、そのメソアメリカとマヤに焦点を当てた展示会です。

メソアメリカ

メソとは「核」という意味。

地理的な範囲としては、メキシコの北部を除いた全域、グアテマラ、ベリーズ、エルサルバドルの全域、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカの西側部分を含む地域を指します。

でも、何をメインに見たらいいのか分からない。

そう思って入ると、入り口付近に、「個人的にこれだけは絶対に見たい!」展示品群が表示されていました。

会場内は写真撮影OKです。最初に案内図がありますので、この写真を撮っておくと、見逃せない至宝は網羅できます。

フラッシュ・三脚等の使用は禁止されています。

特別展は2つの部屋に分かれており、それぞれテーマにそって展示されているので、古代メキシコに詳しくない私でも十分に楽しめる構成になっていました。というか、かなり勉強することができました。

なお、オーディオガイドも借りることができますが、現金のみです。

※ 状況により変更される場合がありますので、公式サイトや館内案内をご確認ください。

特別展のテーマ

古代メキシコ・特別展は、以下のようなテーマで展示されています。

テーマ

第1章  古代メキシコへのいざない

第2章  テオティワカン 神々の都

第3章  マヤ 都市国家の興亡

第4章  アステカ テノチティトランの大神殿

メキシコには世界遺産が多く、その数は35件(2023年8月時点)。

特に、活火山が連なる中央高原から密林が広がる熱帯のマヤ低地まで、多様な自然環境の下に育まれた古代文明は、とても個性的です。前15世紀から後16世紀のスペイン侵略までの3000年以上にわたる歴史の長さは、エジプト文明や中国文明にも引けを取りません。

そんな古代メキシコ文明を様々な角度から解説しているのが、この特別展なのです。

第一章 古代メキシコへのいざない

さて、まずは古代メキシコの歴史からみていきましょう。

今から13,000年ほど前、最後の氷河期が終わりへと向かう頃、地球規模の温暖化現象により、北米大陸を覆っていた氷床が融け出し無氷回廊が出現しました。人類は、15,000年ほど前にその回廊を南下して、メキシコ中央高原や海岸部、ユカタン半島、中米にたどり着き、前1500年ごろ、メキシコや中米に古代文化圏を形成したと考えられています。

数千年かけて彼らは変化に富んだ生態系に適応し、多様な動植物を食料とした定住生活を営むようになります。こうして、各地に農耕を基盤とした多くの民族集団が形成されました。その一つが、前1500年ころにメキシコ湾岸部に興 (おこ)った「オルメカ文明」です。

オルメカ文明

広大な自然環境のなかで人々の暮らしを支えたのは、トウモロコシをはじめとする栽培植物と野生の動植物でした。やがて、天体観測に基づく正確な暦が生み出され、豊穣と災害をもたらす神々への祈りや畏れから様々な儀礼が発達し、生贄が捧げられました。

第1章  古代メキシコへのいざない

大石彫・土器・ヒスイや蛇紋岩の彫刻に独特の表現様式を作り上げたというオルメカ文明。土製品や石製品のモチーフとして、幼児のような顔と体型が良く利用されたそうです。

この強烈すぎる幼児像の顔には、人間とジャガーの特徴が合わさっています。当時の核オルメカ地域にはジャガーが生息しており、人々に脅威を与えていたため、その危険性が神聖視されたと言われています。また、熱帯雨林最強の獣であるジャガーと人間の融合した図像は、王権のシンボルとして多く制作されたそうです。

ジャガーの特徴がどこなのかよく分かりませんでしたが、(次の部屋にあった)≪ジャガーの土器≫ を見ると、目と口元がジャガーなのか(?)と思いました。いかんせん、強烈な印象を受けたオルメカ文明のベビーフェイスでした。

マヤ文明

特別展の展示品より

メキシコ中央高原やオアハカ地域にも中核的な集落が生まれました。

首長たちは記念碑的な建造物を築き、天文学、歴法、文字が発達し、やがて都市が登場します。前1200年にはマヤ文明が興り、後16世紀まで、メソアメリカ一帯で栄えました。

貴人(きじん)の土偶

貴人の土偶は、マヤに生きた人の土偶です。

つばの大きな帽子を被り、美しいコートを羽織った貴人の土偶。1000年以上経った今でも鮮やかな青色は、マヤ・ブルーと呼ばれています。

マヤは、前1200年頃から後16世紀までメソアメリカ一帯で栄え、後1世紀には王朝が成立した長大な歴史を持つ文明です。この後に見るマヤの世界(展示室)でも、多くの土偶が展示されていました。マヤは外部との交流が盛んで、人々が活き活きと過ごしていた時代だったのかもしれません。

最初の展示室では、遺跡など3つの文明(マヤ・テオティワカン・アステカ)のハイライトが映し出されていました。

特別展では、単に展示品を並べるだけでなく、実際に旅した感覚になれる工夫があちこちにあり、まるで遺跡を旅している感覚で至宝を見ることができます。

4つのキーワード

ところで、文明の萌芽 (ほうが) は、その中心地域の社会発展のみによって引き起こされるのではなく、周辺の地域との相互関係によって誕生すると考えられています。

かつては、そのオルメカ文明の文化的特徴(文字・暦・芸術表現など)が同時期だけでなく後の時代においても各地域の遺跡から見つかったことから、「マザー・カルチャー(母文化)」と呼ばれていた。しかし、現在は、「シスター・カルチャー(姉妹文化)」と呼ばれるのが一般的である。出所:『図解 マヤ文明』(P29-30)

それぞれの文明には、通底する4つのキーワードがあるようです。

4つのキーワード

・トウモロコシ
・天体と暦
・球技
・人身供犠 (じんしんくぎ)

以下、簡単にご紹介いたします。

なお、引用している展示品は、別の展示室で見られるものも含まれています。

トウモロコシ

原品はアステカ文明(1325~1521年)

熟したトウモロコシの女神であるチコメコアトル神を表した香炉が飾られていました。手にトウモロコシの穂を二重にした形の笏 (しゃく) を握っています。見ていると、つい口元がほころぶ姿の神様です。

トウモロコシは、トウガラシ、カボチャ、トマトと並んでアメリカ大陸を代表する栽培植物のひとつです。9千年ほど前から栽培が始まり、穀物や発酵飲料として消費されるだけでなく、雨や豊穣の神として信仰され、都市文明の礎 (いしずえ) となりました。今でも、トルティーヤなど、メキシコの主食となっていますね。

天体と暦

雨季と乾季があるメキシコでは、農業のために正確なカレンダーが必要でした。

そのため、人々は熱心に天体を観測しました。太陽・月・金星、そして日食や月食の周期までも正確に把握し、365日の太陽暦や、人間の妊娠期間に基づくとされる260日の宗教歴など、様々な暦を生み出したそうです。

金星周期と太陽暦を表す石彫

≪金星周期と太陽暦を表す石彫≫ は、チチェン・イツァの金星の基壇 (きだん) と呼ばれる建物を飾っていた彫刻です。マヤ人が金星を戦争、狩り、破壊などを象徴する重要な星として見なしていたことを物語る図大が刻まれています。

左側が金星、右側が太陽暦の年を表しており、縦の棒が数字の5、8つの丸印が数字の8を表しています。584日の金星の周期5回分が太陽暦の365日の8回分という意味だそうです。

詳細

・マヤ文明、800~1000年
・チチェン・イツァ、金星の基壇出土
・ユカタン地方人類学博物館カントン宮殿

上の写真は夜空を主題とする ≪夜空の石板≫ です。

両脇には金星と星、中央にはワシと兵士が表されています。戦争や生贄で亡くなった兵士の魂は、太陽と共に天球を旅しなければなかったと言われています。

球技

球技をする人の土偶

一見、お相撲さんかと思ったのですが、球技をする人の土偶でした。

当地ではオルメカ文明以前から、大きく重いゴムボール(ゴムの樹液と熱帯朝顔の草汁)を使った球技が行われてきたとされています。

ゴムボールを腰で打ちあう競技が盛んで、多くの遺跡から球戯場が見つかりました。儀式として王様同士が競うこともありましたが、危険を伴うことから、この土偶のような大きな防具を腰につけていたそうです。

土偶ですが躍動感があり、今回一番記憶に残った展示品でした。

詳細

・マヤ文明、600~950年
・ハイナ出土
・メキシコ国立人類学博物館蔵

トニナ171

≪トニナ石彫171≫ は、球技の場面を描いた石彫で、中央のゴムボールの上に西暦727年に当たる年がマヤ文字で記されています。球技をしているのはカラクムルとトニナの王で、両国の外交関係を示すものと考えられています。

トニナ石彫171

・マヤ文明、727年頃
・トニナ、アクロポリス、水の宮殿出土
・メキシコ国立人類学博物館蔵

人身供犠

チャクモール(Chacmool)とは、メソアメリカ全域において見られる人物像です。

ひじをつくような姿勢で上半身を起こして、顔を90度横へ向け、両手で腹部の上に皿や鉢のような容器をかかえてひざを折り曲げています。この像は、古代メキシコを語るにおいて避けられない、人身供犠に用いられたものです。

古代メキシコでは、あらゆる命は他の命の犠牲によって成り立つと考えられていました。そのため、動物だけでなく、人の心臓を捧げる人身供犠の風習が盛んでした。そう聞くと身の毛がよだつ思いがしますが、現在の物差しでは測れない価値観は、どの時代、どこの国にもあるのでしょうね。

マヤの神話では、人間はトウモロコシから作られたとされています。トウモロコシの神様もいるように、神格化された食物が育つように人身供犠を行い、豊作を願ったのでしょう。

テオティワカン 神々の都

開場のスクリーン画面

テオティワカン(ナワトル語で「神々の座所」)は、海抜2300mのメキシコ中央高原にある都市遺跡です。

南北4キロにわたる死者の大通りと呼ばれる巨大空間を中心に、ピラミッドや儀礼の場、官僚の施設、そして2000を超えるアパートメント形式の集合住宅などが立ち並んでいたと考えられています。

上のスクリーンの写真は「太陽のピラミッド」で、その一辺が223m、高さは64mです。ピラミッド=お墓と思っていたのですが、テオティワカンのピラミッドは、なんらかの神を崇めるための巨大建造物と考えられています(ただし、その根拠は不明とされています)。

テオティワカンは、紀元前100年頃から後550年頃(日本の弥生〜古墳時代ごろ)まで繁栄し、およそ20平米キロメートルの面積に、最盛期には、15万人とも20万人とも言われる人々が住んでいました。その規模は、かつての東ローマ帝国のコンスタンティノーブルに匹敵するほどだったそうです。近くに黒曜石 (こくようせき) の産地があり、テオティワカンは、この地域を支配下に置くことで、黒曜石の流通を独占したと言われています。

黒曜石

黒曜石は、武器や道具、あるいは宝石として重用された火山岩の一種で、マグマが急冷してできたもの。

黒曜石は、世界の火山地帯で産出する鉱物で、日本では縄文時代に矢じりやナイフの材料として取引されたことでも知られています。

死のディスク石彫

メキシコ先住民の世界観では、太陽は沈んだ(死んだ)のち、夜明けとともに東から再生すると信じられていました。つまり。太陽の死と再生のサイクルですね。この ≪死のディスク石彫≫ は、1964年「太陽のピラミッド」前の広場で発掘され、作品は地平線に沈んだ夜の太陽を表わすと考えられています。復元すると直径1.5mにもなる大型の石彫です。

他の展示品と比べると、シンプルなデザインのレリーフです。死んでいる太陽なので骸骨となっているのでしょうか。明るいところに展示されていたので、大きく舌を出した表情は、怖いというよりちょっとユーモラスに感じました。

死のディスク石彫

・テオティワカン文明、300~550年
・テオティワカン、太陽のピラミッド、太陽の広場出土
・メキシコ国立人類学博物館蔵

≪モザイク立像≫ は、テオティワカンの南北中心軸上にある「月のピラミッド」の埋葬墓から発見されました。12人の生贄の骨と共に発見されたため、奉納品と考えられています。

胴は蛇紋石 (じゃもんせき) とヒスイ輝石岩 (きせきがん) の小片。口と目は、貝殻や黄鉄鉱 (おうてっこう) でできています。

テオティワカンでは、貝製品の首飾りや、ヒスイを使った首飾りや耳飾りが見つかっています。

その中で、つい見とれてしまった、この貝の首飾り。

自分を飾るためか、財力を誇示するためか、自己満足なのかは分かりませんが、着飾るという意識は、古代でも共通していたのだと考えると面白かったです。

テオティワカンでは高度な文明と豊かな暮らしぶりがうかがえますが、文字による記録がほとんど残されておらず、都市を築いた民族の詳細や滅亡した理由などは推測の域をでないそうです。本格的な研究が始まってから、すでに100年以上経ちますが、発掘は全体の20%ほどしか進んでいないと言われおり、まだまだ謎が多い文明のようです。

羽毛の蛇ピラミッド

城塞の中心には、メソアメリカで最初の大モニュメントだった神殿「羽毛の蛇 (ケツァルコアトル) ピラミッド」があり、外飾りであった ≪羽毛の蛇神石彫≫ と ≪シパクトリ神の頭飾り石彫≫ が飾られていました。

「シパクトリ神の頭飾り」は、「羽毛の蛇神」とともに、王権の象徴で、テオティワカンの3つの遺跡の中では最も小さい建造物ですが、最も美しく装飾されています。

ちなみに、ケツァルコアトルとは古代ナワトル語で、「ケツァル」が鳥の羽根、「コアトル」は蛇、つまり「羽毛の生えた蛇」を意味します。

これは実際には蛇ではなく、コスタリカの国鳥でもある「ケツァ―ル」を差しています。

2012年コスタリカにて

木にとまっているケツァ―ル(上手く取れていないので全体像をお伝え出来ないのですが)。

ケツァールは、カラフルな長い尾をもち、世界で最も美しい鳥と称されています。その美しさから、手塚治虫氏の『火の鳥』のモデルになったとも言われています。

羽毛の蛇ピラミッドの写真もそばにあり、臨場感たっぷりに観覧することができます。

また、このピラミッド正面の大広場からピラミッドに向けて延びる、長さ103mのトンネルが、2003年に発見されました。

入口は垂直の穴で、深さは15mにもおよびます。

降りた先には水平にピラミッドの中心に向かい、その最奥には、王墓があったのではないかとみられています。

貝殻の先端を切り取り、吹き口とした楽器です。

ピラミッドの地下トンネルの最奥部より多数出土したそうです。投槍器 (とうそうき) を持った人物や、ワニに似た神が描かれています。共に、マヤ様式の図像に類似しており、遠隔地との交流の証拠となっているそうです。

トンネルの内部は盗掘されていましたが、それでも多くの遺物が残されていました。

この特別展が素晴らしいと感じたのは、単に至宝を並べるだけでなく、このような説明が豊富で、まるで現地を旅しているかのような工夫がされているところです。

壁画

テオティワカンの街では、赤を基調とした色鮮やかな壁画が多くの建物を彩っていたそうです。

この壁画は今から1500年以上前に描かれたものですが、古代メキシコ人の豊かな色彩感覚を今に伝えています。

描かれているのは嵐(雨)の神様で、手に持っているのはトウモロコシ。水の恵みが食料をもたらす、という祈りを込めた図案だと考えられています。

土器

テオティワカンは、交易や市場の経済活動が盛んな多民族が交雑する都市でもあったため、会場には、こうした都市の性格を示す展示物も多く見られました。メキシコ湾との交易を行っていた貝商人の墓地とされる場所から見つかった《鳥形土器》(250〜550)もそのひとつです。

発掘者によって「Pato Loco (奇妙なアヒル)」と名付けられた容器です。多くの貝が貼り付けられた、鳥の形をかたどっています。メキシコ湾岸地域との交易で貝などを手に入れていた貝商人の墓からの出土品です。

香炉

やはり気になるのは、生活に取り入れられた香り。

香炉の多くは住居から出土し、祖先を祀る儀式に用いられました。実際にどのような香りが使われていたかは分かりませんが、香炉を制作する工房跡も発見されており、国家が生産を管理していたとみられています。

参考文献

今回、記事を書くにあたり、特別展で買った以下の本を参考にさせていただきました。

この雑誌によると、『噴火によって生まれた町は、再び炎につつまれて崩壊した』そうです。

テオティワカンは大規模な火災が都市を荒廃させた後、紀元550年頃に滅亡したとされています。

公共建築物がことごとく焼き払われていたり、神々を表す彫刻などが破壊されていることから、支配階級に対する反乱、あるいは外部からの侵入などによって引き起こされた火災が要因となったという説が有力なようです。

スポンサーリンク


さいごに

スペインに征服される前、独特の文明を築き上げていた古代メキシコ文明。

今なお色鮮やかに残る至宝の数々を見ながら思いをはせていると、いくら時間があっても足りないくらいでした。本当は1回でご紹介する予定だったのですが、のめり込んでしまい長くなってしまいました。後半は、次回お届けしたいと思います。

またお越しいただけますと、幸いです。

最後までご覧いただきありがとうございます。

-東京
-, ,