JALの成田空港・ファーストクラスラウンジに飾られていたエアメールと思い出の写真を使って、バーチャル海外旅行をしてみました。
成田・ファーストクラスラウンジ
J成田空港にあるJALのファーストクラスラウンジには、JALの歴史が垣間見える小さなエアメール博物館があります。
場所は「鮨 鶴亭」に行く前の小さな空間です。
JALが就航するすべての都市ではありませんが、それぞれの国の切手を見るのも楽しいい展示物です。
ポーラールート:1961年
ポーラールートは、北廻りのヨーロッパ線です。
1961年、エールフランスとの共同運航から、DC-8型機の自主運航に変わりました。
DC-8 という飛行機は乗ったことがないのですが、母との初めての旅行が、アンカレッジ (ANC) 経由だったことを思い出しました。
祖父が持っていた写真です。国内線だと思いますが、こういう飛行機で旅行していたイメージでしょうか・・・。
それまで、ヨーロッパへ行くには、南回りルートしかなかった時代です。日本からヨーロッパまで54時間もかかっていたそうです。
そんなヨーロッパまでのフライトが、ポーラールートの開設で大幅に短縮されました。
JALは、アンカレッジ 経由で、コペンハーゲン、ロンドン、パリへの乗り入れを開始したそうです。
ちなみに、1957年にそのベースとなる「北極航路」を開拓したのは、スカンジナビア航空 (SAS) だそうです。
ANCの思い出
東京からANC (アンカレッジ) まで7時間ほどです。
1時間ほどの給油時間を、シロクマの巨大な剥製を見たり、うどんを食べたりして過ごしました。
そして、再びヨーロッパに向けて同じ飛行機に乗るのですが、このルートでは、北米最高峰の山・マッキンリーを見ることができるのも楽しみの一つでした。

南廻り欧州線:1962年
クェートからのエアメールです。1962年、JALの南廻りのヨーロッパ線が開設しました。
イランのテヘラン。行ってみたいなぁ・・・。
カイロに行っちゃう?ヨーロッパまではまだ遠いようです。
エジプトの思い出
20年以上前ですが、母とエジプトに行きました。
日中は42℃で、暑すぎて危険なため、観光は中止されていました。
でも、今の日本ではそんなにびっくりする気温でなくなった事に今、びっくりしています。
この時代の行先は、ロンドンとパリだったようです。
でも、絵柄や切手が素敵だったので、この時間旅行の行先はフランクフルトに変更しました(^^)
南廻り欧州線:1965年
南廻りで旅行に行くときは予防接種が必要だった時代です。
JALでは、1965年の5月に、南廻り・ニューデリー経由のロンドン線(東京=ニューデリー=パリ=ロンドン)を開設しました。
この時代のインドの切手が素敵です。
インドの国内線(思い出)
インドのプネという都市からインドールまで、インドエアウエイズで移動しました。初めてのインドの国内線です。機内は思っていた以上にきれいでびっくりしました。1時間半のフライトでチキンか野菜サンドの食事がでました。
上の右の写真は、食後に食べる「フェンネル」です。見た目は、もみ殻を一回り小さくした感じです。
スプーン一杯ほどすくって手のひらに乗せ、それを一気に口の中へ入れました。ボリボリ食べると、ミント味が口の中で広がります。
世界一周路線:1967年
1967年、世界一周線が開設されたようです。世界一周線の完成にあわせ、客室乗務員の制服に森英恵さんのデザインが導入されました。
当時のミニスカートの制服は(写真で見て)とてもおしゃれだなぁと思いました。
モスクワ線:1967年
1967年、日ソ共同運航のモスクワ線の第1便が東京国際空港(昔の羽田空港)に到着しました。
このあと、ヨーロッパまで、モスクワ経由でも行けるようになりました。
モスクワのラウンジの思い出
JALは、2020年夏期ダイヤ (3~10月) から、モスクワにおける就航空港を、ドモジェドボ国際空港(DME)から、北西部のシェレメチェボ国際空港(SVO)に再度変更すると発表しました。
上の写真は、DMEのラウンジです。なので、次回モスクワへ行けるようになったら、このラウンジではなくなります。
DMEのラウンジは、SVO (シェレメチェボ国際空港) のラウンジより明るくて、飛行機が見られるので好きでした。SVO発着の一部路線においては、アエロフロート・ロシア航空 (SU) との共同運航便も開始するそうです。新型コロナウィルスの影響で少し遅れるのでしょうか。
マニラ線:1967年
1967年、マニラ線が就航しました。
切手もとても興味深いですが、JALのスタンプが素敵です。昔は、JALの紙の航空券にも押してあったそうです。

新型コロナウィルスの影響で、今はいろいろなものが電子化しています。仕事面や生活面の簡素化・効率化のためには大賛成ですが、こういう記念になるスタンプは残して欲しいと思いました。
メキシコ線:1972年
東京=メキシコの第一便は1972年です。バンクーバー経由のメキシコ域で、DC-8-62型機が就航していたそうです。
メキシコ旅行
まだデジカメがなかった時代の写真です。
メキシコのビーチリゾート・カンクーンへ個人で行き、そこから、ティオティワカンを観光する現地日本語のツアーに入りました。
ティオティワカンは、紀元前2世紀頃から6世紀まで繁栄していた都市です。最大規模の約20平方キロメートルにもわたる宗教都市で、最盛期には10万から20万人が生活していたそうです。
南北 5 kmにわたる「死者の道」と、そのの周囲に立ち並ぶ「太陽のピラミッド」、「月のピラミッド」、「ジャガーの宮殿とケツァルパパトルの宮殿」といった遺跡や、「ケツァルコアトルの神殿」が主な観光スポットです。
北京線:1974年
1974年、東京=北京の第一便。やっぱり切手はパンダですね。
パンダの思い出
中国に赤ちゃんパンダを抱っこできる場所があると聞き、成都のパンダ基地へ行ってきました。
赤ちゃんパンダは、想像していた大きさと違いました・・・。

でも10か月なので、赤ちゃんパンダだそうです。
人間の病気を移してはいけないので、衛生面に気を付けて抱っこします。その値段は1万円なり。しかも3分ほどです。
その時は、高いなぁと思ったのですが、今となってはいい思い出です。
日本のパンダの思い出はこちらをどうぞ。
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ふたごのパンダとパンダの飛行機 ~アドベンチャーワールド~
かわいいパンダに会ってきました。
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まとめ
海外旅行ができるのはまだまだ先のようです。
なので、JALファーストクラス・ラウンジにある「世界からのエアメール」を見ながら時間旅行をしてみました。
上の写真は、昭和何年のものか分かりませんが、女性は着物を着て飛行機に乗る時代だったようです。
今はオンラインで何でもできますが、手紙やはがきは、今そこにいない人と時間を超えて繋がれるような気がしました。
最後までご覧いただきありがとうございます。